ある人から、表向きは想像力という名の妄想パワーをほめられ、
その想像力を小説を書いたりとか、何かを作ることに生かしたら、と言われた。
ボキャブラリーがそんなにある訳ではないし、
架空の生き物や乗り物、異次元の世界は想像できないし、
自分の空想の中には現実にあるものしか出てこないので、
ミヒャエル・エンデのようなファンタジーは書けないと言った。
子どもの頃から空想ごっこが好きで、そこは今もあまり変わっていない。
昔よく想像していたのが、貧しくも清く生きているけど実は貴族の血をひいているとか(ペリーヌ物語か?)
旅をしながら生活している途中で親と生き別れるけど、色んな人に出会い成長するとか(これもペリーヌっぽいし。)
どれもまんがやアニメが下敷きになっていて、オリジナリティらしきものは一切なし。
中学生になった頃からは、想像の中の自分は孤児ではなくなっていたけど、
たまたま弾いた楽器の才能があって一躍時の人になっていたり、
ミュージシャンと恋に落ちたりとか、少女まんがの影響モロ受けの内容に変わっていった。
今、こうやって思い起こしてみると、パッとしないことが急に注目されたりする、
シンデレラストーリー的なものが好きだったんだなぁと思う。
おめでたいというか少女趣味というか、現実的な人に話したら呆れられそうな内容。
今はそこまで急激に自分が変身する想像はしないけれど、
空想の基本の部分はあんまりかわっていないのかもしれない。
角田光代さんが、「習い事をはじめるたびに、自分はものすごく才能があるんじゃないかと思うけど、
実際はそんなことはなく、才能の目がでることはない」ということをエッセイに書いていて、
この人は自分と感覚が似ているのかもしれない、とうれしくなったことがある。
新しいことをやりはじめる前に「すごくできる自分」を想像するも、実際はそうはならずに落ちこぼれたり。
でもそうやって「自分には才能があるかも」とプラス方向に想像をするのことがとても楽しい。
才能の芽が出ない自分にがっかりすることもあまりないから、
くり返し想像・妄想を広げていくんだろうな、と思う。
仕事面でもそれくらいのプラス思考が欲しいもんだよなぁ…。